オーストラリア大使館東京

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住所: 108-8361 東京都 港区三田 2-1-14 - 電話番号: 03-5232-4111

オーストラリアについて

多様なオーストラリア人

オーストラリアは文化、人種、言語、宗教などで豊かな多様性を持った人々で構成されている社会である。アボリジニ(先住民)とトレス海峡島しょ民は、何万年にもわたってオーストラリアに住んできた。大多数のオーストラリア人は、過去2世紀の間に200ほどの国々からやってきた移民か、その子孫である。

文化や言語が多様なのは、ヨーロッパ人の植民が始まる前のオーストラリア人の生活の特徴で、それは現代オーストラリア社会の特徴として今も残っている。移民は1788年にヨーロッパ人の植民で始まり、その後一定のペースで続き、1850年代のゴールド・ラッシュ時代にはその数が年間5万人に達し、1940年代に人口が700万人を超えるまでに至った。移民の大部分は、イギリス系であった。

第二次大戦以来オーストラリア政府の公式な移民政策で、難民や人道上の援助を必要とした69万人以上を含む、660万人を超える移民を迎え入れた。

オーストラリアの移民政策は、人種、文化、宗教などの理由で差別をしていない。オーストラリアは、毎年12万人を超える移民を受け入れ、人道上の計画でおよそ13,000人が再定住している。2006-07年度に移住したのはおよそ19万3,000人で、人道計画によるビザで入国したのは1万4,000人弱であった。

今日、2千100万人を超えるオーストラリアの推定居住人口のほぼ四人に一人が外国生まれである。過去40年の間に、オーストラリアに住むことにした人たちの出身国には大きな変化があった。1960年代は、新しい移民の45パーセントがイギリスかアイルランド生まれであった。2006-07年度には、この数字は17パーセントに減り、アジア太平洋地域やアフリカ、中東諸国からの移民や長期滞在者が増えた。2006-07年度に入国した移民の10パーセント以上は中国からで、1995年以来、アフリカと中東からの移民も20万人を超えた。

ご存知ですか?

オーストラリアで最も一般に話されているのは英語、イタリア語、ギリシャ語、広東語、アラビア語、中国(北京)語、 および ベトナム語である。

2006年の国勢調査では、海外生まれは多い順に、北西ヨーロッパ(推定140万人)、南・東ヨーロッパ(72万2,000人)、東南アジア(55万3,000人)、大洋州(49万6,000人)、北東アジア(38万9,000人)、 南・中央アジア(26万8,000人)、 北アフリカ・中東(25万1,000人)、サハラ以南のアフリカ(19万2,000人)、南北アメリカ(18万人)であった。

2001年と2006年の国勢調査の間に、最も多く増加した海外生まれの人たちは:中国(6万4,000人)、インド(5万2,000人)、ニュージーランド(3万4,000人)、南アフリカ(2万5,000人)であった。2006年の国勢調査で人口1,000人以上の出生国別グループのなかで、最も急速に増加していたのは、リベリア(2001年の国勢調査時から1,240パーセント増加)、シエラレオネ(437パーセント増加)、スーダン(288パーセント増加)からの人たちであった。

オーストラリアは文化の多様性を認識し、受け入れ、そして尊重している。オーストラリアのように、移民がこれほど高いレベルで、経済、政治、社会、文化などに関わっている国は世界でも少ない。外国語は主な学校や大学を始め、政府が補助している様々な民族系の学校でも教えられている。

2006年の国勢調査によると、オーストラリアでは依然キリスト教が主流(64パーセント)であるが、キリスト教徒は2001年の1,280万人が、2006年には1,270万人に減少した。キリスト教以外の宗教は拡張を続け、特に仏教(2パーセント)、イスラム教(2パーセント)、およびヒンズー教(1パーセント)が多く増えた。増加率ではヒンズー教が55パーセントで最も高く、それにイスラム教(21パーセント)と仏教(17パーセント)が続いた。特定の宗教を信じていないと言った住民の数も増加を続け、2006年には前回の国勢調査より28パーセント増えた。

オーストラリアの教育機関に在籍する留学生は、常時30万人を超え、その他10万人が通信教育や海外校で学んでいる。そして、毎年500万人以上の観光客が海外からオーストラリアを訪れている。

オーストラリアの移民政策

オーストラリアには、移住と人道主義という別個の移民計画がある。これらの計画は、オーストラリアの国際的な人道上の責任と、オーストラリア政府の経済・社会・環境などでの目標との間で均衡を保っている。

移民計画には二つの大きな流れがある:オーストラリア経済に貢献する熟練や熟練不足に対処する熟練者移住の流れと、家族移住の価値や重要性を認識した家族移住の流れである。

移住の基準は、1958年制定の移住法(Migration Act 1958)と様々な移住規則に規定されている。資格の決定に際しては申請者の国籍、出身種族、性別、人種、宗教などは一切関係しない。

ご存知ですか?

オーストラリアは、アメリカ、カナダとともに、世界で最も再定住する移住者が多い上位3カ国に属する。第二次大戦後、オーストラリアは人道上の援助を必要とする人たち69万人以上を受け入れた。

オーストラリアの海外での人道に基づく移民とは、人道上の援助を必要とし、オーストラリアでの再定住が最善の解決策である難民やその他の人たちが対象である。大部分の難民は、国連難民高等弁務官によって認定され、オーストラリアに委ねられる。人道上の計画に基づくその他の移民には、自国で人権に重大な侵害を受けるような実質的な差別を被ったり、オーストラリアと密接な関係のある人たちが含まれる。

団結した寛容の社会

オーストラリア政府は、すべてのオーストラリア人が、法の下で、社会の平等な一員であり、各自の文化的伝統が自由に維持できることを約束している。文化的な多様性を認めることによって、すべてのオーストラリア人の文化的遺産が受け入れられている。オーストラリアに住む権利と、自由や恩恵は、住民各自の責任でバランスが保たれている。政府は、企業、地域社会、その他の組織や個人と、次のような目標を持った団結して寛容な社会としてのオーストラリアを強化するため、協力することを約束している:

  • 人権、民主主義、法の支配の尊重
  • 違いのあることの認識と尊敬
  • すべての人に対する機会の提供
  • 多様性の称賛とその活用
  • すべての人の地域社会への参加の奨励とその尊重
  • 各人が共通する未来に属し、貢献することの奨励

オーストラリアは、移民に対して再定住するため包括的で統合された様々な便宜を計ってきた、世界で最初の国の一つである。オーストラリア政府は、移民が出来るだけ早く社会の一員になるのを支援することが、新しく到着した移民にとっても、同時に広く社会全体の利益にもなることを認識している。

多くの移民は、特に英語が話せ、オーストラリア社会に馴染み、就職ができれば、定住するのが早い。他の人はそれより長くかかるかも知れない。特別の助けを必要とする多くの難民も到着している。定住を支援する政府のサービスは、早く社会に溶け込んで自立し、その完全な一員になるのを励ますために、一番必要なことに重点を置いて援助している。こうしたことが、新しい移民の就職、英語習得、オーストラリア人の価値観の理解、社会への融和などを助けている。

さらに広範なオーストラリア社会に関連するプログラムがあって、社会的・経済的機会の提供、共有する責任の尊重や容認、すべてのオーストラリア人の間の尊敬の増進などを図っている。その計画の中には、様々な地域社会の組織に対する資金供与、社会の団結を築くための大企業や政府機関との連携などが含まれている。

外国語の授業

英語以外の言語に精通し、国際的な文化に理解のあるオーストラリアの若者は、国際社会における国家の将来にとって極めて重要な存在である。

オーストラリア政府は、主な学校や地域語学計画を通じて行われている、アジアやヨーロッパの言語、オーストラリア固有の言葉、オーストラリアの手話(Auslan)などの授業や学習を援助するため、2005年から2008年までの4年間に、およそ1億1,200万ドルを支出している。

これら資金の大部分は、毎年州や特別地域の教育関係当局に直接交付されている。連邦、州、特別地域の政府が共同して推進している「オーストラリアの学校における語学教育に対する国家声明と計画2005-2008」の実施を援助するため、年間およそ130万ドルが支出されている。

外国語は初等・中等両方の学校で教えられている。12年生(ハイスクールの最終学年)全生徒の14パーセント以上が、上級に認定された外国語の課程を勉強している。このレベルの学習で人気のある言語は、日本語、中国語、フランス語、 イタリア語、 ドイツ語、インドネシア語、 スペイン語、 ベトナム語、アラビア語、およびラテン語である。

およそ半数の生徒が、初等と中等教育の間に外国語を学習している。主な学校やその他の教育機関では、150近い外国語が教えられていて、その中には68の先住民の言葉や学校外で教えられている69の言語も含まれる。

オーストラリア政府は、2009年1月1日から、公立学校で新しく全国アジア言語学習計画を実施する。これは、日本語、インドネシア語、中国(北京)語、朝鮮語の4カ国語を取り上げて、学習を促進しようとする計画である。

この計画は、これらの言語を学習する中・高等学校の学生数を増加させ、その学生たちがアジアの主要な貿易相手国の言葉や文化の学習と理解に堪能になれるように、最善の機会を与えることを目指している。2009年から2011年の間に、6,240万ドルの資金を拠出して、中・高等学校におけるアジア言語のクラスを増やし、教師の訓練やアジア言語学習計画で優れた能力を発揮する学生のための、特別教科の開発を促進しようとしている。

他言語のメディア

オーストラリアでは英語以外の新聞や放送部門が盛況を呈し、国内の多様な人々に情報を流して、そのニーズに応えている。その中には、主として公共の資金で賄われている多文化・多言語のテレビ・ラジオ・ネットワークであるSBS(Special Broadcasting Service)がある。

全国民族・多文化放送者協会によると、国内には100局を超える都市や地域の放送局があって、100ほどの言語で放送し、毎週およそ1,700時間のローカル番組を制作している。

民族系の新聞も100紙を超え、地味な定期刊行物から主要な週刊誌や日刊紙に至るまで、アラビア語、中国語、フランス語、ドイツ語、ギリシャ語、イタリア語、日本語、韓国語を含む40以上の言葉で発行されている。

オーストラリアの先住民

オーストラリアの先住民はアボリジニとトレス海峡島しょ民で構成され、彼らは互いに人種的にも文化的にも異なる。歴史的に、アボリジニはオーストラリア本土やタスマニアに住んでいた。トレス海峡島しょ民は、クイーンズランドの突端とパプアニューギニアの間にある島々からやってきて、その文化はパプアニューギニアや太平洋諸島の住民と多くの点で類似している。

1788年ヨーロッパ人が植民を始めたころ、オーストラリアには30万人から75万人のアボリジニとトレス海峡島しょ民がいたと推定される。この人口は、19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ人植民地の境界での紛争、新しい疫病や社会的な問題の影響などを含む、様々な原因で劇的に減少した。

現在アボリジニやトレス海峡島しょ民の血を引くと名乗るオーストラリア人が増えている。2006年の国勢調査では、45万5,031人がそうであると申告した。

先住民の半数以上が、ニュー・サウス・ウエールズ州かクイーンズランド州に住み、2006年にその数は夫々13万8,507人と12万7,580人であった。すべての州や特別地域のなかで、先住民の率は北部準州が最も高い。2006年にその数は5万3,662人を超え、人口の27.8パーセントを占めた。

最近の国勢調査のデータでも、先住民全体のちょうど半分余りが、大都市かその近辺に住んでいる。しかし、田舎や遠隔地に住む先住民がずっと増えようとしている。全国的に見ると、遠隔地や非常な奥地に住んでいるオーストラリア人全体の24パーセントが先住民で、大都市では1パーセントを占めるに過ぎない。

先住民の文化は多様で、オーストラリア国民性の重要な特徴になっている。先住民たちは、芸術、メディア、学界、スポーツ、ビジネスなど数多くの分野で大きく貢献している。

オーストラリア政府は、先住民たちが現在も昔からの関係があったり、彼らの社会、文化、経済的発展を続けるのに助けになるような土地に立ち入り、所有できる機会を保証すると約束している。オーストラリア国内の土地のほぼ16パーセントは、先住民が所有するか、管理している。

政府は、先住民社会がまだ一部の地域に根強く残っている不平等を克服するのを援助する計画や政策を監視している。こうした政策には保健、住居、教育、雇用の改善努力が含まれている。

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オーストラリア先住民の言語

ヨーロッパ人の植民時代には、およそ700の方言を含めて、先住民が話していた言葉は250あったと推定されている。過去200年間にこれが145ほどに減り、その内の110は非常に存続が危ぶまれている。

先住民たちは言葉を、自分たちの身元や精神的なより所として重要な要素であるとして大切にしている。こうした点から地域社会や政府は、住民が共有する知識の生体系として、代々受け継がれてきた先住民言語の活性化や維持を支援している。

言語が失われるのを防ぎ、話されなくなった言葉を復活させるための計画には、長老たちの伝承歴史の録音、学校・大学・地域社会での先住民言語学習の援助、芸術への先住民言語の取り込み、先住民言語の辞書や歌曲を収録したデジタル・データベースの開発などがある。

名所旧跡の名称を変更したり、二重の言語で呼ぶのも、先住民の言語を認識する一つの方法で、北部準州のエアーズロックの正式名称がウルルになったのはその一例である。